岩屋谷に位置する巨大な方墳で終末期の方墳としては石舞台古墳(1辺51m)、カナズカ古墳(1辺50m)に次ぐ規模です。研究者の間では、この時期は蘇我氏の全盛期で、蘇我馬子の墓と考えられる石舞台古墳も大型方墳である事から、大和の方墳は蘇我氏系との見方が一時期あったのですが、ハミ塚古墳は蘇我氏と対立した物部氏の本拠地にあることより、再考を迫られる結果となりました。このハミ塚古墳は元々古墳という認識は地主以外は地元の方も含め無かったようで、小生もこの古墳の横の道をいつも通っていたのですが・・・発見された当時は「えぇ!これが古墳??」とびっくりしたものでした。1960年代に付近を通る名阪国道の工事の際、古墳の南側を流れる高瀬川の川幅拡張に伴う側道工事で羨道部の石が抜かれたようです。更に1994年に古墳南側の道路拡張工事で巨石が発見され、これを契機に調査が開始されました。元々、江戸後期から明治の間に沢山の石が運び去られたようで、玄室、羨道部共に1段目しか残っていませんでした。墳丘も元の姿がわからないほど削られてしまっています。今は残念ながら埋め戻され、羨道部の一部の石材が見えるだけで古墳と気づく方はかなりの通でしょう!コンクリートの用壁にある解説板がわずかに古墳であることを主張しています。
おすすめ度(☆3.0)公開されれば本来は5.0
★所在地:天理市岩屋町
★墳形:方墳(復元長東西49m、南北46m)南に開口している。周濠の痕跡あり。
★石室:花崗岩切石の両袖式横穴式(現存長12m)玄室長5.7m、奥壁幅2.8m、玄門幅2.8m、羨道現存長5m、幅1.8m。石室内面と石棺表面を、漆喰を塗った痕跡があり、玄室床面には平たい石の上に、白と黒の玉砂利が5~10㎝敷きつめてあり、道教や陰陽道の影響が考えられています。
★棺:竜山石製刳抜式家型石棺(縄掛突起6個)
★出土遺物:須恵器片、土師器片、金環、太刀の環頭につく鉄地銀張りの環頭片、 刀装具と思われる金銅製品2、長頭鏃片。
★築造年代:6世紀末~7世紀初
★発掘調査:1994年~1997年(現地説明会は1997年4月に行われました。)
★被葬者:物部氏関連
【参考文献】
・天理の古墳100(天理市教育委員会)
・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会)
・大和の終末期古墳(河上邦彦氏)
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