ノムギ古墳と共に県道天理環状線建設に伴い一部調査された古墳です。室町時代に既にクビレ部を農道が縦断していたようで、現在も果樹園や畑地でかなり改変されています。古墳時代初期の重要な大型古墳ですが、未だ断片的な調査だけで実態がよくわかりませんが天理市としては、今後も古墳の保護の為、引き続き範囲確認調査を重ね、史跡指定に向け取り組んでいくとの事です。
おすすめ度(☆3.5)
★所在地:天理市萱生町ヒエ塚
★墳形:竜王山から西に延びる尾根上に立地する前方後円墳。前方部を西に向ける。(全長約130m、後円部径約60m、(2017年の調査で後円部の径は従来の想定より大きい約70m程度の可能性がある事が判りました) 高さ約10m、前方部幅約55m、高さ約7m)後円部3段、前方部2段築成。葺石あり。周濠状落込あり。
★埋葬施設:不明(未調査)
★出土遺物:2002年の墳丘北側外堤の発掘調査で土師器壺、甕(かめ)、高杯の完形品や破片。2014年の調査時にも庄内式を含む古墳時代初期~後期までの土器片が見つかっています。(解説板によると明治時代に勾玉、管玉、金環、土器が出土しているとの事)
★築造年代:過去の調査は何れも周濠状周辺の調査であり、出土土器も古墳時代の初期から後期にわたっており築造時期は断定出来ませんが同じオ-ヤマト古墳群の中山大塚古墳の墳丘との類似性(箸墓古墳とも似ている)及び埴輪が見つかっていないと事から、古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀前半)の可能性が高まっています。
★発掘調査:
・2002年(橿原考古学研究所)農道拡幅工事に伴い古墳北側の外堤相当部分で行われ、排水溝とみられる溝が発見されました。この溝から祭祀に使った可能性もある3世紀後半以前の布留0式の土器が発見されましたが古墳築造に先行する集落跡の可能性や溝そのものの存在理由がが明確でない為、築造時期を確定するにいたらず。
・2003年(橿原考古学研究所)古墳の西側に隣接するノムギ古墳との間に県道が通るため、ノムギ古墳の第2次調査として調査されましたが、当初予想されたヒエ塚の濠は見つからず。
・2014年(天理市教育委員会)後円部南側が試掘され周濠は従来幅30m程度と考えられていましたが約4m程度しかなかったようです。ただし二重濠の可能性が残されています。
・2017年(天理市教育委員会)史跡指定を目指す調査の一環として後円部北側で長さ約30m、幅約10mの範囲で発掘調査が行われ、後円部の裾を示す基底石や周濠(幅約5m、深さ約50cm)が確認されました。
★被葬者:ヤマト王権の有力者の可能性が考えられています。
【参考文献】
・天理の古墳100(天理市教育委員会)
・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会)
・ヒエ塚古墳(外堤部)発掘調査 記者発表資料 2002年7月29日)
・ヒエ塚古墳(第2次)発掘調査現地説明会資料 2014年3月2日)
・ヒエ塚古墳(第3次)発掘調査現地説明会資料 2017年2月19日)
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