わにした

和爾下神社古墳

 天理市の櫟本町周辺は、大王の后妃を出し、奈良盆地北部に勢力を持った和爾氏の本拠地とみられています。和爾という名前は「和土」(良質の埴土の意味)からきていると考えられています。さて、この古墳は、東大寺山古墳、赤土山古墳などと共に東大寺山古墳群に属す全長105mの前方後円墳ですが後円部に和爾下神社の社殿が鎮座している事に加え、古墳周辺も柿本寺の影響でにかなり改変されています。おすすめは墳丘西側に安置されている石材です。(この古墳のものかどうかは不明)

おすすめ度(☆3.0) 

★所在地:天理市櫟本町治道山

★墳形:前方後円墳(全長105m、後円部径60m、高さ12m、前方部幅39m、高さ7m)前方部を北に向ける

★埋葬施設:不明。墳丘西側の柿本寺跡には。寺の礎石と共に、竜山石製の石棺の側石か石室の天井石とみられる石材が置かれ、この古墳の可能性も考えられます。

★出土遺物:墳丘裾で円筒埴輪棺及び上記石材。

★築造年代:4世紀末~5世紀初頭

★発掘調査:1984年に括れ部東西方向と、後円部北側斜面及び後円部平坦面の一部のみ調査。

★被葬者:周辺一体は古代の政権の一翼を担った和爾氏の本拠地でもあり、その奥津城と考えられています。

 

 【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会)

・大和の古墳を歩く(森下恵介 氏)

 

行き方