このあたりは元々平等院・岩室遺跡という弥生時代の遺跡として知られおり、この古墳の発掘調査でも、古墳の下から弥生時代前期から古墳時代前期にかけての溝、土抗と多数の遺物(土器、石器、木器等)が発見されました。発掘以前は削平されていた為、古墳という認識は無かったようですが、以前から埴輪は出土していたようです。現状は解説板が無ければ古墳とわからないですが、解説板の墳丘の復元図と、現地を見比べながら観察すると、ここが後円部あたりかな?ぐらいの感じは掴めるかと思います。
★ 所在地:天理市岩室町
★概要:池の堤の護岸工事に伴う試掘調査の際、弥生式土器に混じって馬の頭部の埴輪が発見された事や、現状の墓地の不自然な地形から古墳の可能性が考えられた為、本格的な調査が行われ、前方後円墳跡が発見されました。
★墳形:一部が発掘されただけで明確な規模は不明ですが、復元すると全長約50m、後円部径30m強の西向きの前方後円墳と考えられます。
★埋葬施設:不明
★出土遺物:朝顔形埴輪、円筒埴輪、人物埴輪、盾形埴輪等。
★築造年代:5世紀末~6世紀前半
★発掘調査:1981年(橿原考古学研究所)
★被葬者:不明
【参考文献】
・天理の古墳100(天理市教育委員会)
・大和を掘る1980年 橿原考古学研究所(楠元哲夫氏)
・大和古墳めぐり(前園実知雄氏ほか)
行き方