柳本古墳群の盟主墳とも言える古墳で現在、崇神天皇陵に治定されていますが、幕末以前に景行天皇陵とされていた時期もあったようです。行燈山古墳周辺にはアンド山古墳、南アンド山古墳、大和天神山古墳の3基の前方後円墳がありいずれも陪冢と考えられています。幕末に修復されたとはいえ、周濠が墳丘の美しさをより一層引き立てています。周辺には渋谷向山古墳(景行天皇陵)、櫛山古墳、黒塚古墳、大和天神山古墳等、有名な古墳が沢山あり、観光シーズンともなれば、山の辺の道を歩く多くのハイカーで賑わいます。合わせて見学がおすすめです。
★所在地:天理市柳本町行燈
★墳形:前方後円墳(全長242m、後円部径158m、高さ31m、前方部幅100m、高さ13.6m)周濠を含めると全長約360m、最大幅約230m。東西に主軸を置く。幕末に大規模な御陵補修工事が行われ、前方部の一部が水没したり、周濠の形状が変化していますが、平面的には大きな変化はなかったと考えられています。葺石、埴輪片あり。
★埋葬施設:不明(長岳寺の石棺仏はこの古墳の天井石の可能性あり)
★出土遺物:墳丘よりⅡ型の円筒埴輪、布留式の小型丸底壷、濠から内行花文鏡によく似た文様の銅版
★築造年代:4世紀中頃~末
★発掘調査:1975年宮内庁(護岸工事に伴う外堤と墳丘裾部等)
★被葬者:崇神天皇?
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・歴史検証 天皇陵 検証崇神天皇陵(河上邦彦氏)
・歴史読本 古代天皇と巨大古墳の謎 崇神天皇の陵墓は行燈山古墳か(河上邦彦氏)
・歴史検証 天皇陵 文久の修復の荒蕪と成功(外池昇氏)
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)
・「天皇陵」総覧 崇神天皇陵(近江俊秀氏)
・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会)
・古墳文化の成立と社会(今尾文昭氏)
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