にしやまづか

西山塚古墳

 古墳が密集するオオヤマト古墳群にある全長114mの古墳です。研究者の間では 被葬者は継体天皇の皇后、手白香皇女ではないかと言われている古墳です。現在、宮内庁が手白香皇女の陵墓として治定されている西殿塚古墳は3世紀の古墳であり、手白香皇女の時代(6世紀)と時代が全く合わないというところからきています。西山塚古墳説を支える材料として、①オーヤマト古墳群のほかの大型古墳と異なり、前方部を北に向けた6世紀の古墳である②西山塚古墳で採取された埴輪が、手白香皇女の夫である継体天皇陵とされる今城塚古墳出土の埴輪と同じ、新池埴輪窯(高槻市)で制作されたものとよく似ている。(但し、奈良市の菅原の埴輪窯の粘土が化学分析され、新池窯と成分が良く似ているとの説もあり、確定はできていません)日本最古の道ともいわれる「山の辺の道」のコース沿いに位置し、足場は良くありませんが、墳頂から大和三山や下池山古墳などが一望できます。そして何より本来ここはは陵墓なんだと思うだけで、なんかぞくぞくしてきました。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:天理市萱生町西山

★墳形:前方後円墳(全長114m、後円部径65m、高さ13m、前方部幅65m、)前方部を北に向ける。墳丘は3段築成。前方部と後円部の比高差は5mあり後円部の方が高い。埴輪、葺石あり。墳丘の殆どは盛土と推定されています。周濠あり(但し築造当初は空濠の可能性があり)

★埋葬施設:未調査ですが、解説板にもあるように開墾時に家形石棺が確認されています。

★出土遺物:墳丘から古墳時代後期の埴輪片 

★築造年代:6世紀前半 

★発掘調査:未調査

★被葬者:手白香皇女説

 

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会) 

・古墳の被葬者を推理する(白石太一郎氏)

・山の辺の道の遺跡を訪ねて(天理市教育委員会) 

 

行き方