にしとのづか

西殿塚古墳

 オオヤマト古墳群で最大規模を誇る古墳です。前方部が箸墓古墳同様バチ形に開く事や、採集された土器の破片に特殊器台が多い事より、3世紀後半の古墳です。しかしながら宮内庁はこの古墳を6世紀代の継体天皇皇后の手白香皇后陵に治定しています。年代が極端に異なり、その可能性は全くなく宮内庁の治定誤りの代表例として取り上げられています。その時代の最新の考古学の研究成果を加味し、明らかにおかしい古墳に対しては、修正を加えていくのが被葬者に対する礼儀と思うのですが・・・。尚、埋葬施設としては後円部と前方部にそれぞれ方形壇があり竪穴式石室の可能性が考えられます。(前方部については祭祀施設としての見方も一部あり)

「山の辺の道」から5分ぐらいのところにあり、その圧倒的な迫力を現地で確認されるといいでしょう。古墳周辺から見る奈良盆地の景観もなかなかのもので、箸墓古墳に続く大王墓として初期ヤマト政権を支えた大王墓として必ず見ておかなければならない古墳です。

おすすめ度 (☆5.0) 

★所在地:天理市萱生町

★墳形:前方後円墳(全長約230m、後円部径140m、高さ約16m、前方部幅130m、高さ約12m。前方部が後円部に比べ4m低く先端がバチ形に開く箸墓古墳に似た形状で前方部を南に向ける。埴輪、葺石あり。墳丘の特徴としては東西の比高差が13mもあり、この為、西側に「エプロン状張り出し部」と称される基壇が存在し、航空写真や測量図で確認できます。段築は2012年に行われた3次元航空レーザー計測で前方部、後円部ともに4段築成(西側の張り出しを含めると5段)で、後円部上段に円形に巡る高まりと、前方部から後円部に上がる通路の中央に窪みがある事も判明しましたが時期、性格共に不明です。

★埋葬施設:後円部と前方部に方形壇(レーザー計測による数値では後円部は最上段に東西25m、南北27m、高さ3m、前方部は東西13m、南北14m、高さ1.9m)があり、埋葬施設は後円部の方形壇に存在する可能性が高く、結晶片岩の板石等の竪穴式石室の石材が宮内庁により採集されています。前方部の方形壇についても竪穴式石室の可能性が考えられています。

★出土遺物:1990年宮内庁の墳丘内採集遺物の報告で特殊器台形土器、特殊器台形埴輪、特殊壷形埴輪の破片が出土。1992年の墳丘周りの調査では現在の宮内庁指定区域外で葺石の基底石が検出され本来の墳丘はもっと広かった事がわかっています。又、その際に初期埴輪(特殊円筒埴輪)が出土しています。

★築造年代:3世紀後半

★調査:1989年(宮内庁書陵部により墳丘調査)1993~1995年(天理市教育委員会で墳丘周辺の範囲確認)2012年(橿原考古学研究所によるレーザー計測)

★被葬者:崇神天皇(明治年間の吉田東伍の説、森浩一氏も検討に相応しい仮説との考え)、卑弥呼の後継者・壱与の説も。   

 

西殿塚古墳関係ニュース

●2012年6月5日に橿考研が航空レーザー測量を用い箸墓古墳(桜井市)と西殿塚古墳の3D画像を作ったと発表があった。いずれも陵墓なので立ち入りが禁止され、1920年代の測量結果しかなかったが今回の測量で新事実も確認された。西殿塚古墳では、前方部から後円部につながる通路の中央部に窪みがあることなどが確認され、更に従来は東側1段、西側2段と思われていた前方部が、今回の測定の結果、東側3段、西側4段で、後円部と同じ段数であることも確認されました。 

●2013.7.10 西殿塚古墳が2012年8月に、盗掘されかかっていたことが分かった。8月13日に巡回中の宮内庁書陵部職員が一人の男性が前方部の頂上部にある「方形壇」と呼ばれる遺構をスコップで掘っていたという。墳丘をわずかに掘っただけで実質的な被害はなかったということで 盗掘したとされる男性は墳墓発掘容疑で書類送検されましたが、起訴猶予となったというニュースです。えぇ?なんで起訴猶予??と言いたくなるんですが・・

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳(衾田陵として)

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・古墳の被葬者を推理する(白石太一郎氏)

・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)

・日本の古墳と天皇陵 西殿塚古墳をめぐる諸問題(泉武氏)

・「天皇陵」総覧 西殿塚古墳は誰の墓か?(森浩一氏)

・「天皇陵」総覧 手白香皇后陵(青木勘時氏)

・大和の古墳Ⅰ 大和における前期古墳の立地と構造(泉武氏) 

・石の考古学(奥田尚氏)

・大和の古代遺跡案内(泉森皎氏)

 

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