さきみささぎやま(ひばすひめ)

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)

 佐紀古墳群の西群に属す全長207mの巨大古墳で、この古墳の後円部が隣接する佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)のくびれ部にくい込み、 成務天皇陵の東側の濠は極端に狭くなっていることより、この古墳が先に築造された事がわかります。巨大古墳が隣接する珍しい例です。江戸時代は神功皇后陵として祀られ、参道の石垣の施設が残っているようです。大正年間に大掛かりな盗掘団の被害にあっており、皮肉にも佐紀古墳群では唯一、埋葬施設や副葬品がわかっている古墳です。尚、盗掘時の報告書があり、埋葬施設の概略図、副葬品の石膏模造品や写真が残っています。(副葬品は再埋納されています)

おすすめ度(☆3.5)

★所在地:奈良市山陵町御陵前

★墳形:前方後円墳、全長207m、後円部径131m、高さ19m、前方部幅87m。高さ12m。前方部を南に向けています。3段築成。埴輪、葺石あり。周濠あり。

★埋葬施設:竪穴式石槨。後円部頂上中央に東西15.8m、南北16.5m、高さ0.7mの方形壇があります。その下に造られた特異な竪穴式石槨は南北に主軸を向け、南北の内法が7.4m、東西の内法が1.1m、高さ1.5mという大きなものです。四周壁は扁平な割石を小口積みで築き、天井は厚さ0.3mの矩形の切石を5枚乗せ短側面にはそれぞれ2個の縄掛突起をもっています。又天井石の上面に置かれた石棺の蓋石状に見える石は、長さ2.6m、幅1m、高さ9.45mの屋根形で、表面に直線の文様が線刻されていました。また棺の前後の小口部分の1枚ものの板石に直径10数cmの穴が開いていましたが、用途は不明。これによく似たものではないかと指摘されているのが、大阪府柏原市の松岳山古墳にあり、石室の南北に立石と呼ばれる板石が樹立し、それぞれに円孔を持っています。

★出土遺物:鏡が5面、石製品22点。いずれも石膏型を取って、埋め戻されました。 又石室の直上には衣笠形埴輪、盾形埴輪、家形埴輪も出土、いずれも高さ1.5m、幅2mの大型埴輪。

★築造年代:4世紀後半~5世紀前半

★発掘調査:1915年盗掘。1971年の宮内庁の調査で大型の盾形埴輪が見つかっています。

★被葬者:不明   

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳  

 

(追記)

2009年2月20日に前年2月の五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵)に次いで2例目となる日本考古学協会など考古・歴史系15学会の代表者らにより、墳丘最下段部を約2時間かけて調査(観察)されました。参加した茂木雅博日本考古学協会陵墓担当理事は「墳丘裾部分は後の時代に改変されている可能性があり、全長は200mを切るかもしれない」と再測量の必要性を指摘されています。又、高木博志京都大学準教授は「この古墳は江戸時代まで、地元では神功皇后陵とされ、後円部墳頂に安産祈願の神社があったようで、今回、神社への参道や、妊婦の腰に当てたという白い石も確認出来た」と報告されています。

 

【参考文献】

・大和の古墳を語る(河上邦彦氏ほか)

・ヤマト政権の一大勢力(今尾文昭氏)

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・大和古墳めぐり(前園実知雄氏ほか)

・天皇陵総覧 新人物往来社

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・百舌鳥・古市古墳群出現前夜(近つ飛鳥博物館)  

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