げんめい
元明天皇陵は、奈良時代最初の天皇である元明天皇の墓とされています。陵墓の規模や築造時期は不明ですが、江戸時代に出土した「函石(はこいし)」と呼ばれる方形の石に刻まれた銘文から、宮内庁はこの地が元明天皇陵と治定しています。陵墓は、自然地形を利用して造られた円墳です。周囲は柵で囲まれており、一周することができます。墳丘内には模造碑が設置されているようです。元明天皇は、661年に即位した女帝で672年に平城京への遷都を行ったことで知られています。また、仏教を広めるために多くの寺院を建立したことでも知られています。元明天皇陵は、歴史上様々な話題を提供してきた天皇の墓です。見学する際には、そうした歴史に思いを馳せながら訪れると良いでしょう。
おすすめ度(☆3.0)
★所在地:奈良市奈良阪町
★墳形:奈良山の西方へ延びる丘陵上にあり、円墳?と思われます。奈良県遺跡地図によると、治定された領域内には3基の古墳の存在が指摘されていますが規模、概要とも不明です。陵のほぼ中央に模造碑(元明天皇碑)が建てられているとの事です。
★埋葬施設:不明(この古墳かどうかは不明ですが、続日本紀の記述より、元明天皇の墓なら火葬墓)
★出土遺物:不明
★築造年代:不明
★発掘調査:未(1982年宮内庁書陵部で、墳丘崩壊復旧工事があったが遺物の検出はなし)
★被葬者:不明
メモ
元明天皇は第43代天皇で、平城遷都した奈良時代最初の天皇(女帝)です。生前から遺言として葬送の簡素化を命じています。すなわち崩じた後は、大和国添上郡蔵宝山(佐保山)の雍良岑(よらのみね)で火葬し、その地をそのまま墓とし、改葬してはならない、諡号は簡素にし、御陵には「刻字之碑」を建てるよう遺言した、と「続日本紀」は伝えています。現在その陵は、平城山の西方に延びる丘陵上に治定されています(奈保山東陵)。しかしながら中世には陵墓の正確な場所がわからなくなり、ウワナベ古墳を元明陵にあてていた時期もあったのですが、江戸時代に「函石」と称する方形の石が、現陵付近の土中から出土し、この石に刻まれた銘文から「東大寺要録」という東大寺関係の歴史書に図示された元明天皇の「刻字之碑」であると判断され現陵が治定されたようです。(一時奈良坂の春日神社(奈良豆比古神社)境内に立てられた事もあったようですが、1863年修陵の際に戻され、1895年に原寸大の模造碑がすぐ横に建立されたようです )
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・天皇陵総覧 元明天皇陵(篠原豊一氏)
・歴史検証 天皇陵 元明天皇陵(山田邦和氏)
【見学記】
2010年「平城京遷都1300年」関連で、天皇皇后両陛下が奈良に来訪された時、平城遷都した奈良時代最初の天皇という事で参拝された陵墓です。墳丘には当然、柵がありますが一周することは可能です。墳丘内の模造碑(後述)が季節によって見える事もあるらしいですが、見学時に見つける事は出来ませんでした。ただ陵墓内に円墳が数基ある感じはしました。
行き方