平城宮造営の際に前方部が削られてしまった古墳です。佐紀古墳群の東群に属する復元長253m(全国的には全長では10位代にランクされる古墳)の巨大前方後円墳です。大きさを実感するには、削平された前方部の痕跡を示す石列が示されたあたりから後円部を見るといいでしょう。しかしこれだけの古墳の前方部を削平するには、相当な土木工事だったんでしょうね。尚、平城天皇陵に治定されていますが、出土した埴輪片や古墳の墳形から、平城天皇(824年崩御)とは全く時代が合わない5世紀代の古墳である事が判っています。
★所在地:奈良市佐紀町
★墳形:前方後円墳、復元全長253m、後円部復元径147m、高さ13m、前方部復元幅164m。前方部を南に向ける。埴輪、葺石あり。周濠の痕跡あり。
★埋葬施設:不明
★出土遺物:埴輪片
★築造年代:5世紀代
★発掘調査:前方部跡が一部発掘調査されています。
★被葬者:不明
【参考文献】
・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)
・ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群(今尾文昭氏)
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・大和古墳めぐり(前園実知雄氏ほか)
・日本史の中の古代天皇陵(茂木雅博氏)
・古墳の謎(田辺昭三氏)