ふどうづか
宇陀地方では谷脇古墳とともに、初期の横穴式石室に位置する古墳ですが、交通の不便さもあってか、あまり知られていない古墳です。昭和43年発行の菟田野町史にこんな記事があります。(一部加筆)「明治11年3月7日~10日の4日間にわたり、当地方の水銀鉱山の行政監督で出張してきた堺県属の吉田弘蔵氏によって発掘?されたことが薄木家所蔵の書類から読み取ることが出来る。その後宮内庁に納めるとの名目で、吉田氏が持ち帰った出土品が、明治12年4月の奈良博覧会で私有品として出品されていることを知って、吉田氏を追及している1件の文書があり、明治時代の官吏による盗掘と記録されている。この時盗掘されたのは中央(1号墳?)と西側(2号墳?)の2基で、記録では.金環頭(1個)付属金銀金物(5個)鉄刀(1振)槍(3本)矢銀(8本)埴輪壺(5個)土器献供器(23個)・・・とあり、ほかにも盗掘品があった可能性があるようです。
おすすめ度(☆4.5)
★所在地:宇陀市菟田野駒帰 ・稲戸
●1号墳
★墳形:東西に延びる尾根を利用した西面する前方後円墳。(奈良県遺跡地図では?となっていますが測量調査で前方後円墳と確定しています)全長約51m、後円径約25m、高約4m、前方幅約20m、高さ約4.5m。現在入室できません(封鎖中)
★石室:片袖式の横穴式石室で主軸とほぼ直交(南向き)に開口しています。 玄室長4.1m、幅2.2m、高さ2.9m、羨道部長3.6m、幅1.5m、高0.71m
★石棺:箱形石棺、花崗岩(榛原石)、長さ約2m、高さ約0.5m、幅0.8m、近年奥壁側にもう1棺発見されています。
★遺物:金銅装環頭太刀、鉄刀、鉄族、須恵器
★築造年代:6世紀中葉
★発掘調査:未(測量調査のみ)
★被葬者:不明
●2号墳
★墳形:主墳である1号墳のすぐそば(東側)にある径17.7m、高さ約3.5mの円墳。
★石室:片袖式の横穴式石室で1号墳同様南向きに開口。(入室可能です)
故薄木祐蔵氏の「古墳基調書」によると、規模的には1号墳より一回り大きい石室で箱式石棺の存在が記されていますが、実際私が入った感じでは明らかに1号墳の方が大きいと思います)
★遺物:不明
★築造年代:1号墳とほぼ同時期か?
★発掘調査:未(測量調査のみ)
★被葬者:不明
【参考文献】
・大和宇陀地域における古墳の研究 宇陀古墳文化研究会
・大宇陀町史
・菟田野町史
行き方
宇陀地方では谷脇古墳とともに、初期の横穴式石室に位置する古墳です。交通の不便さもあってか、あまり知られていない古墳です。前回挑戦時は背丈より遥かに高い熊笹の前にあえなく断念。菟田野町当時の行き先表示板を信用しすぎたのが、間違いの元でした。今回は雪辱戦という事で古墳探索のベテランが集合!剪定ばさみ持参で熊笹を伐採しながら見学ルートを突き進みました。しかし視界が開けず10m進むのに5分ほどかかる始末。数回の休憩を挟みながら1時間ぐらいかかり、やっと古墳を発見!!