むろ みややま
巨勢山山塊の北麓に位置する全長238m を測る葛城地域最大の前方後円墳で、ひと昔前までは室大墓(むろのおおばか)と呼ばれていました。5世紀前半の築造と考えられ、葛城襲津彦とみる考えもみられます、周濠跡が残り外堤部の北東に一辺70mを測る大形方墳の猫塚古墳を持ち位置関係から陪冢とかんがえられています。石室周囲の埴輪列の様子がはっきりと判った古墳で豪華な形象埴輪は特に有名です。
おすすめ度(☆5.0)
★所在地:御所市室
★墳形:前方後円墳。東西方向に主軸を置く3段築成の墳丘(全長238m、後円部の径約105m、高さ25m、前方部幅約110m、高さ22m)クビレ部の南側に造り出し、前方部の南北に張り出しを持つと推測されています。葺石及び埴輪あり。
★埋葬施設:後円部に竪穴式石室2基、前方部に粘土槨2基のほか、北張り出し部にも粘土槨が営まれています。調査された南側石室は長さ5.5m、幅1.9m、高さ1.1mの規模で割石を小口積みし天井石は6枚使用されています。石棺は長さ3.5mの長持形石棺(竜山石製)で、縄掛突起は長辺、短辺とも2対の計8個付いています。蓋石の上面は格子亀甲文とよばれる矩形の装飾的な窪みがあり、津堂城山古墳の石棺に類例があるだけで、見学できるのはこの古墳だけという貴重なものです。又、この石室は築造時、石棺を先に安置後、石棺保護の為に石組みを行い天井石を乗せたことが判明しています。
★出土遺物:後円部主体部上には円筒埴輪と、石室周囲の豪華な形象埴輪で構成された、2重の方形埴輪列あります。1908年(明治41年)前方部の開墾に伴い、11面の漢式鏡、滑石製勾玉29個、管玉7個を含む玉類が発見され、戦時の開墾で前方部の最頂部中心より西南寄りで、木棺の一部と見られる高野槙の一枚板や刀剣類が確認されました。また1950年の盗掘に伴う後円部の緊急調査(南側石室)で、石棺内は盗掘の為玉類数点のみで、石室からは勾玉、管玉等の玉類や琴柱形石製品、刀剣類、革綴短甲、石室の上面から滑石製の刀子等の祭器類。円筒埴輪、形象埴輪等が出土しています。
★築造年代:5世紀前半
★発掘調査:1950年(後円部のみ)1994年(前方部張出部に西接する部分)
★被葬者:古くは武内宿禰が有力視されましたが近年は葛城襲津彦説が多いようです。近年の台風被害による確認調査で、北側「埋葬施設の東側から陶質土器片が発見され、被葬者と朝鮮半島とのつながりが注目されます。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・ヤマト王権と葛城氏(近つ飛鳥博物館)
・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)
・大和の古墳Ⅰ 明日香・南葛城地域の古墳(藤田和尊氏)
・葛城の考古学(松田真一編)
行き方
見学は後円部裾にある八幡神社の石の鳥居を通り上ります。階段があり勾配は急ですが、道は整備され迷う事はありません。石室の見学は開口している南石室の欠損した西端(天井石があった所)から、石棺の一部を見ることが出来ます。狭いですが石室内に入れば、石棺の盗掘口から朱が残った石棺内部を見ることができます。(懐中電灯が必要)竪穴式石室にある石棺が見れる古墳など滅多とないので、おすすめです。尚、石室周辺を巡る埴輪群も有名で、現地にも靫形埴輪の復原模型があり、レプリカとはいえ雰囲気がよく感じ取れます。(現物の埴輪は橿原考古学研究所付属博物館で見る事が出来ます。)