うめやま
前方部を西に向けた前方後円墳です。全長は140m、修陵時に改変された可能性もありますが、現状は山側の幅は狭い周濠を持つ古墳で、前方後円墳のの終焉時期の古墳です。終末期古墳と古墳と同様、丘陵斜面をコの字形に削平した後に墳丘を築いています。なお現在吉備姫王墓にある猿石は、元々この欽明天皇陵の南側の「池田」の田圃の中にあったのですが、1702年再発掘され、のち梅山古墳の前方部に置かれ、安産の神として信仰されてきました。そんなことから猿山とか石山(葺石からきている?)と呼ばれていました。その後、この古墳が欽明天皇陵に治定された時、俗信仰にかかわる物として1872年に陵外(吉備姫王墓)に移されています。
おすすめ度(☆4.0)
★所在地:高市郡明日香村平田
★墳形:前方後円墳(全長138m、後円部径約73m、前方部幅107m、後円部高さ約12m)
・江戸時代の末に修陵時に埋もれていた周濠が掘り起こされており築造当時のものではありません。(空濠であった可能性もあります)又、南側の周濠近辺に「池田」という小宇名も残っており古墳南側は二重濠の可能性もあるようです。墳丘は前方部が広がる事や、後円部と前方部の高さがほとんど変わらないことから、前方後円墳の末期に造られたものと考えられています。
★石室:横穴式石室(古い絵図に後円部中央に、大きな盗掘穴が描かれているようです)
★棺:不明
★出土遺物:土師器、須恵器の破片(詳細不明)
★築造年代:6世紀後半
★発掘調査:1997年(宮内庁)
★被葬者:被葬者論争が盛んな古墳で、いろんな研究者から被葬者候補が出ています。
森浩一氏→蘇我蝦夷、入鹿の双墓(欽明天皇陵は五条野丸山古墳)
白石太一郎氏→蘇我蝦夷(欽明天皇陵は五条野丸山古墳)
小澤毅氏→欽明天皇陵(五条野丸山古墳は蘇我稲目の墓)
高橋照彦氏→敏達天皇陵(欽明陵は五条野丸山古墳)
今尾文昭氏→欽明天皇の改葬墓(初葬墓は五条野丸山古墳)
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・歴史検証 天皇陵 検証欽明天皇陵(増田一裕氏)
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)
・日本の古墳と天皇陵 「陵墓限定公開の成果と問題点(宮川渉氏)
・天皇陵総覧 欽明天皇陵(増田一裕氏)
行き方・見学記
近鉄「飛鳥駅」から北東へ約600mで行けます。前方後円墳がつくられなくなる頃の古墳で、この大きさでも当時としてはトップクラスの古墳。しかしながら隣の吉備姫王墓の猿石目当てで、この古墳は素通りという方が多いのですが、考古学上は比較するのも失礼なぐらい、重要な位置付けにある古墳ですので是非見学ください。その際、動画でもご紹介していますが北側の周濠にも是非足を運んでください。私も北側の周濠を歩いてみて初めて、この古墳の位置づけがわかったような気がしました。