いしぶたい
巨大横穴式石室の代表格!。部分的に石舞台の大きさを上回る古墳があっても総合的に見ればこの古墳の圧倒的な迫力に勝る横穴式石室はないでしょう。まさに別格です。石室に使用されている石材の最大のものは推定72トンもあり、石室規模は我が国屈指のものです。現在は明日香観光の中心でもあり古墳ファンならずとも訪れる人気スポットです。小生も小学生の時、遠足で訪れて以来、何度も足を運びました。当時は周辺一体は全て田圃で周濠も未だ埋まっており、石室にも自由に登れた記憶があります。
おすすめ度(☆5.0)必見!
★所在地:高市郡明日香村島庄
★墳形:方墳(1辺55m)西南方向に開口している。墳丘上部の形状は不明。周濠、貼石あり。墳丘の封土は江戸時代以前からなくなっていたようである。石舞台古墳の造営にあたり、古い古墳が削平され、判明しているだけでも、7基(6世紀後半~7世紀前半の群集墳)が潰されている。
★石室:両袖式横穴式(全長19m)玄室長7.7m、幅3.4m、高4.8m。羨道長11.5m、幅2.4m、高2.6m。開口部は真南ではなく、風水思想に依存していない。
★棺:凝灰岩製の家形石棺と思われる。(玄室から凝灰岩の破片が出土している)
★出土遺物:土器片少々他は不明
★築造年代:7世紀初
★発掘調査:1933.1935年。1954~1958年(濠の修復と調査)1975年(周辺国営公園化の為)
★被葬者:蘇我馬子?河上邦彦氏は都塚古墳と双墓の可能性がありその場合は蘇我蝦夷と入鹿の可能性もありと指摘されている。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
石舞台古墳の石室材の内面は、平坦面をだすために削った時のノミ跡は認められるものの、一般的に石材を切り出す時に使う矢穴の痕がなく、角に円みがある石材です。この事から石舞台古墳の石材は細川付近の冬の川などに転がる巨石(写真)を採取したのではないかと考えられています。
矢穴による切り出し方法は底がV字状のがクサビの「矢」を使って、石材の割りたいラインに沿ってノミで穴を掘り、その穴に鉄製の矢を差し込み、叩くと石は左右に割れる手法です。矢穴跡が残る古墳は牧野古墳が一番古く、向坊古墳などで見られます。
【参考文献】
・飛鳥を掘る(河上邦彦氏)
・大和の終末期古墳(河上邦彦氏)
・考古学点描(河上邦彦氏)
・日本の遺跡発掘物語 石舞台古墳(石倉明氏)
・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)
・日本の古代遺跡 飛鳥 (菅谷文則氏)
・石ひとすじ(左野勝司氏)
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