みやこづか

都塚古墳

 蘇我馬子(?~626)の墓とされる石舞台古墳から約400m南に位置し、石舞台古墳に先行する古墳です。後で造られた石舞台古墳と双墓の可能性が指摘されています。(開口方向が同じで冬野川を挟んで相対しています)石室には二上山の凝灰岩を使った、当時の大王墓クラスの大形の家形石棺が残っています。別名金鳥塚とも呼ばれ、元旦に墳丘上で金鶏が鳴くという伝説を持つ古墳です。飛鳥の観光コースからは少し外れ、石舞台古墳と違い観光客を見ることもなく、じっくりと立派な石室と、扉越しではありますが大型の石棺をご覧いただけます。又墳丘にも上がれますので、素晴らしい飛鳥の景観を実感ください。 

おすすめ度(☆4.5)

★所在地:高市郡明日香村坂田小字ミヤコ938番地

★墳形:南北に伸びる尾根の先端の傾斜地に位置し従来は一辺約28m、高さ約4.7mの方墳の可能性が強いとされてきたが、2014年の発掘調査の結果、墳丘の東側で石積の階段が1段と上部の4段が確認され、未調査分に更に数段あると見られ、全体では7~8段ピラミッド状の階段を持つ大型方墳に復元されるという。復元長は東西約41m、南北約42m、高さは4.5m以上、西側の見かけの高さは7m以上に復元され、墳丘北側の裾には幅1~1.5m、深さ約0.4mの周濠があり、北側の法面には人頭大の石で護岸が行われている。

★石室:石英閃緑岩(通称飛鳥石)を使った両袖式横穴式(全長12.2m)玄室長5.3m、幅2.8m、高さ3.55m、羨道長6.9m、幅1.9~2.0m、高さ約2m) 南西方向に開口

★棺:刳抜式家形石棺(二上山白色凝灰岩)6個の縄掛け突起あり。石棺の規模は棺身の長さ2.23m、幅1.46m、高さ1.08mで、内法は長さ1.74m、幅0.82m、深さ0.65mを測り石棺の総高は1.72m。玄室内には暗渠、排水溝が設けられている。追葬(木棺)の痕跡もある。尚、石棺前方の床面には木棺が追葬されていたと考えられています。(木棺の棺台に使われた石材と鉄くぎ等が検出されている)

★出土遺物:土師器、須恵器の破片、鉄製品(刀子、鉄釘、鉄鏃、小札)の断片

★築造年代:6世紀後半

★発掘調査:1967年(石室内)、2013~2014年(範囲確認調査)

2014.8.16現地説明会が行われ4100人が詰めかけた。

★被葬者:大王墓が方墳に切り替わる直前の古墳とみられておりいろんな研究者から被葬者候補が出ている。主なものは以下の通り

・蘇我稲目(?~570年)(千田稔氏、猪熊兼勝氏)

・百済から来た渡来系の人物、稲目は見瀬丸山古墳(和田萃氏)

・蘇我一族の有力者、稲目は平田梅山古墳(白石太一郎氏)

・蘇我入鹿(河上邦彦氏) 

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】  

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・日本の古代遺跡 奈良飛鳥 (菅谷文則氏)

・都塚古墳調査報告」(関西大学 考古学研究年報2) 

 

現地説明会(2014.8.16)

(追記)2015年3月1日発表 (村教委・関西大学考古学教室)

階段ピラミッド状に石を積んだ大型方墳とわかった都塚古墳のその後の調査で、墳丘の中腹などを発掘し、新たに東南隅の石段が確認された。また墳丘の構造について段築は計6段以上(1段は高さ30~60センチ)あり、内部まで拳大~人頭大の石を充填して石組みを補強し、水平面には土を厚さ20~30センチ敷いて石を隠し、外観を整えてあった。国内で他に類例はない。

 

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