2000年に行われた現地説明会では邪馬台国との関連からか、沢山の考古学ファンがかけつけ、一躍メジャーな古墳となりました。整備され墳丘にも自由に上れますので360度の視界を堪能してください。箸墓古墳や三輪山など素晴らしい眺望が望めます。少し気になるのは後円部のホケノ山古墳最大の特長である「石囲い木槨」の位置を示すものがない事と、特に復元が必要とは思われない追葬時の木棺の復元模型が上り口にあるんですが、これを「石囲い木槨」と勘違いされる事を何度か見かけました。ご注意を!!
おすすめ度(☆4.5)
★所在地:桜井市箸中
★墳形:纒向型前方後円墳で全長約80m、前方部長約25m、高さ約2m。後円部に段築あり(2段又は3段)径は約55m、高さは約8mですが、後で述べる横穴式石室との関係からみて、墳頂部は約2m程度削平された可能性があると考えられています。周濠は一部確認されていますが全周発掘されていない為、馬蹄形の周濠の可能性もありますが未確定。葺石あり。埴輪はなし。
★埋葬施設:中心埋葬施設は、後円部中央に掘りこまれた墓壙内に南北を主軸とした「石囲い木槨」と呼ばれる我が国で初めて発見された構造の埋葬施設あり。全長約10m、幅約6m、高さは現状1.5mで長さ5mのコウヤマキ製の刳抜式木棺をおさめています。天井部は木材か丸太を渡し、その上に地元産の小型の河原石を積んでいたと考えられ発掘調査時には,おびただしい数の河原石と柱跡の痕跡が見つかりました。木槨材には大量の水銀朱が塗布されてたと考えられ、棺床の河原石や木槨側板や柱の掘り方の充填土に、その痕跡が認められます。※この他、中心埋葬施設の西側に6世紀末頃に墳丘を再利用した横穴式石室が検出されました。(現在は埋め戻されています)全長は約13m、玄室長4.6m、奥壁幅1.6m、羨道長(左)8.9mで天井石は持ち去られていたが組合式石棺が残っていました。また前方部東斜面に木棺直葬と、くびれ部に簡単な埋葬施設が1基あり。
★出土遺物:部分的に盗掘を受けていましたが、完形の画文帯同向式神獣鏡1面のほか、意図的に打ち割られたと思われる画文帯神獣鏡、内行花文鏡等の破片23点、多数の銅鏃(どうぞく)、鉄鏃、刀剣類5口、鉄製農工具、土師器多数。
★築造年代:3世紀中頃?(諸説あり)コウヤマキ製の刳抜式木棺の破片を、放射性炭素(C14)年代測定法で分析した結果、築造年代が、それまで推定されていた3世紀中頃から3世紀第2四半期(225~250)頃にさかのぼる可能性も考えられています。
★発掘調査:1995年~2000年
★被葬者:大神神社には豊鍬入姫命の墓との伝承あり
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・桜井の横穴式石室を訪ねて(桜井市教育委員会)
・大和の古墳Ⅰ 大和における前期古墳の立地と構造(泉武氏)
・最初の巨大古墳 箸墓古墳(清水眞一氏)
・ホケノ山古墳調査概報(橿原考古学研究所編)
・石の考古学(奥田尚氏)
・近畿の古墳文化 (泉森皎氏)
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