桜井市では箸墓古墳に次ぐ大きさで、全国でも14番前後の全長を誇り、200m級の前方後円墳の多くは陵墓に指定され、立ち入ることは出来ない中にあって、このメスリ山古墳は桜井茶臼山古墳と共に数少ない墳丘に上れる古墳です。滅多に見られない竪穴式石室の天井石や、方形壇の「囲み壁」を自分の目で確認できます。必見の大王墓クラスの古墳です。
おすすめ度(☆5.0)
図面は橿原考古学研究所資料より引用
★所在地:桜井市大字高田小字メスリ他。
★墳形:北西に伸びる尾根筋の先端を利用した前方後円墳(全長224m)前方部幅80m、高さ8m、後円部径128m、高さ19mとされますが、1985年の4次調査(範囲確認調査)で墳丘裾より約15m北側で葺石列が発見された事により、築造時は全長250m、高さ24mあったと考えられています。3段築成の墳丘斜面に葺石を、テラス面には埴輪列を設け、前方部を西に向け周濠は持たない。1959年の調査で後円部の墳頂部に造られた方形壇と、その周囲を二重に巡る埴輪の方形区画列が発見され、埴輪列は内側69本、外側106本で、内側と外面の間には千鳥状に大型円筒埴輪と、高坏形埴輪を含む20数本もの埴輪が置かれ、調査報告書には「華麗にして荘厳な配置」と表現されています。埋葬主体部はこれらの埴輪列に囲まれた方形壇の中につくられています。
★埋葬施設:後円部中央に墳丘主軸と直行して被葬者を埋葬した主室、その東側に副葬品を収めた副室の2つの竪穴式石室があり、主室は全長8m・幅1.4m・高さ1.8mで、石室の床面には木棺を安置する粘土棺床があり、痕跡から木棺は長さ7.5m以上・幅は0.8mあったと思われます。特徴的なのはこの古墳の墓壙は墳丘を掘り下げるものではなく、地山上に石積みで「囲み壁」を造作し中央に粘土床をつくり、板石と礫で控え積みした後、割石の小口積みで積み上げ、扁平な天井石で架構したあと、分厚い粘土で被覆し、その上に栗石で高さ約1mの方形の「囲み壁」を造り、小礫をつめ盛土した方形壇が造られています。その周囲に埴輪を二重に建て並べ、さらに驚くべき事に発掘調査時、主室の4.8m東で全長6m、幅0.7mの副室が未盗掘の状態で発見されています。主室の底面より1m高い位置に造られ、石室は底面から30㎝ほどは自然の魂石を垂直に積上げ、扁平な板石で徐々に持ち送り、天井部は合掌式の竪穴式石室。
★出土遺物
出土した埴輪は直径が70~96㎝の大型円筒埴輪(特に石室の主軸線上にある2本は直径が96㎝、81㎝と特に大きい)と、直径が50㎝前後の円筒埴輪及び高坏型埴輪に区分され、形象埴輪は無い。大型円筒埴輪で最大のものは高さが2.4m、円筒部底部の直径が90㎝、口縁部はラッパ状に開く特殊な形態で、吉備地方を中心とした特殊円筒埴輪の影響が伺え、大和では箸墓古墳、西殿塚古墳に続く時期のものと考えられています。この他にも特殊円筒埴輪と組み合わされた高坏形埴輪も出土しており、組み合わせると高さが1.9m(内、高坏部が55㎝)
・主室:の副葬品
;既に著しく盗掘されており一部の鉄刀剣以外は源位置を保つものはなく出土品の多くは錯乱された粘土中と流入土から見つかっています。三角縁神獣鏡(1面)、内行花文鏡(2面)の残欠、硬玉製勾玉(6点)碧玉製管玉(55点)、椅子型石製品片(3点)、石釧片(29点)、鍬形石片(3点)、車輪石片(1点)、、櫛形石製品片(3点)、合子片(6点)などが出土しています。
・副室の副葬品
盗掘を免れた副室からは他に例のない鉄製弓矢をはじめ、鉄製ヤリ先(212本以上)銅鏃(236本)、石製鏃(50点)、各種の鉄製農工具(斧頭・手鎌・ノミ・カンナ・ノコギリ・刀子など150点以上)碧玉製石製品(4種類の玉杖を含む32点など主室に埋葬された被葬者に伴う副葬品が発見され、出土品は2005年6月、一括して重要文化財に指定されています。
★築造年代:4世紀初頭。
★発掘調査:
〇1次調査・・・後円部埴輪方形区画と主室(1959年12月~1960年1月)
〇2次調査・・・後円部中段の円筒埴輪列と副室(1960年3月~4月)
〇3次調査・・・前方部(1961年3月)
〇4次調査・・・北側墳丘裾(1985年6月)
〇5次調査・・・前方部前面(1994年7月)
1~3次調査は橿原考古学研究所、4次~5次調査は桜井市教育委員会
★被葬者:大王あるいは有力首長の墓 と考えられています。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・ヤマトの王墓 桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳(千賀久氏)
・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)
・「天皇陵」総覧 天皇陵になれなかった古墳(猪熊兼勝氏)
・大和の古墳Ⅰ 大和における前期古墳の立地と構造(泉武氏)
・メスリ山古墳(橿原考古学研究所)
・古墳(桜井市文化叢書・ 小島俊次氏)
・古墳文化の成立と社会(今尾文昭氏)