古くから古墳として認識されていたようで、「大和古墳墓取調書」(1893年)では高三間、根廻六十八間で絵図では2段に描かれています。奈良県遺跡地図には11D-0498(径35m)と記されています。2012年、桜井市教育委員会で測量調査が行われ、東西38m、南北33m、比高差5.4mと報告されていますが、測量調査だけで墳形は確定されていません。(この測量調査に先立ち天理大学歴史研究会でも2002~2003年頃、測量調査と電気探査がおこなわれ、電気探査では周構を捉えており、一辺41mの方墳に幅9~12mの周講を持つ古墳ではないかとの復元案が示されています)このあたりには沢山の古墳がありますが、ホケノ山古墳を除きほとんど未調査で、その実態は判らないので、見応えという面では物足りないかと思いますが、遺跡地図持参で、周囲に広がる大小さまざまの古墳を探してみるのも、いいかもしれません。
★ 所在地:桜井市箸中
★墳形:方墳の可能性が高い。
★埋葬施設:不明
★遺物:不明
★築造年代:当古墳は纒向川の扇状地に立地し、今の地形からも過去の流路が復元でき、古墳は流路が埋没した後に築かれています。古墳から東230mの場所で行われた纏向遺跡136次調査において、流路から出土した土器(布留0式期)が出土している事より、築造時期は布留0式を下るものと考えられています。
★調査:2002~2003年天理大学歴史研究会(測量・電気探査)、2012年桜井市教育委員会(測量調査)
★被葬者:不明
【参考文献】
・大和古墳墓取調書
・奈良県遺跡地図(奈良県教育委員会)
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