はなやまにしづかこふん
我が国を代表する磚積式古墳。特にこの古墳の場合は奥室(石槨)がある事で知られています。場所は女寄峠手前の笠間辻のバス停から15分ぐらいの山中で、有名な古墳だけに地図にも名称だけは掲載されていますが、探すのはかなり苦労すると思います。古墳は動物園の檻を思わすような柵で包囲されています。石室内に入ると、この古墳でしか感じない一種独特の世界が味わえます。古墳の石室と言うより焼物の窯跡みたいな感じです。奥室は高さが90cmと低く大人一人が、かがんでやっと入れる感じです。巨石古墳も素晴らしいですが、このような磚積式古墳もなかなかのものです。尚、柵から出る時は結構きついので体力のない方、小柄な方等は決して無理をして入らないように願います。(最悪出られなくなる可能性もあります!)
おすすめ度(☆5.0)(必見!)
★所在地:桜井市粟原字小谷
★墳形:尾根の南斜面を削り平坦面を造り南南東に開口部を持つ円墳(径約16m)と思われますが封土の大半を失い確定は出来ません。
★石室:レンガ状に加工した榛原石を漆喰で固め積上げた磚積式石室は宇陀、粟原谷、鳥見山南麓に集中(例外的に帯解黄金塚古墳がある)しておりその関係が注目されます。また花山東塚古墳とは当初から計画的に配置された双墓の関係も指摘されています。玄室と奥壁の壁面には全面に漆喰が施された形跡が見られます。また羨道部と玄室部の他に、玄室の奥には石扉を有する奥室があり、その奥室前面に横たわっている石扉は1925年に上田三平氏が近くの笠間小学校の靴脱石に使用されていたものを実測した結果、花山西塚古墳の物と判明し戻されたものです。(以前は見ることが出来たのですが、今は土砂が入り込み見えなくなっています)全長8.1m、玄室長2.2m、幅1.4m、高さ1.6m、奥室長2m、幅0.7m、高さ0.9m、羨道長4m、幅1.1m、現存高1.4m。
★棺:不明
★出土遺物:不明
★築造年代:7世紀の中葉から後半?
★発掘調査:明治初年に行われているが遺物の残存なしと報告されています。
★被葬者:渡来系貴族の墳墓(朝鮮半島の磚槨墳に似ていることより)
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・桜井の横穴式石室を訪ねて(桜井市教育委員会)
・桜井の横穴式石室(桜井市教育委員会)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)