天皇陵に指定されてる関係で、実態はほとんどわからない古墳です。周濠は発掘調査の時、堤から18世紀代の遺物が発見されてる事より灌漑用として再整備されている可能性が高く、南側の一部は築造時の面影が残っているようです。改変されているものの、気にせずに眺めればそれなりに美しい古墳かと思います。直ぐ近くにある新沢千塚古墳群との関わりも気になるところですが、よくわかっていません。
★所在地:橿原市鳥屋町字見三才
★墳形:前方部を北北東に向けた全長138mの2段築成の前方後円墳です。後円部径83m、高さ17.7mで前方部幅78m、高さ18.6mです。盾形の周濠が巡りますが、東側は改変され鳥屋池とつながっています。くびれ部の両側に方形の造り出しがあり、前方部東側にも張り出し部があります。葺石や埴輪が検出されています。
★埋葬施設:不明(築造時期や規模からみて大型の横穴式石室の可能性が考えられます)
★出土遺物:円筒埴輪、朝顔形埴輪、須恵器、土師器。
★築造年代:宮内庁の調査で出土している須恵器より6世紀前半の築造とみられます。
★発掘調査:未調査(但し墳丘裾周辺のみ1970,1976年に実施)
★被葬者:? 宣化天皇の没年(539年)とは、数十年の開きがあります。
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)
・天皇陵総覧 宣化天皇陵(山川均氏)
・大和の古墳を歩く(森下恵介氏)
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