おかみやてんのう

岡宮天皇陵

 草壁皇子は天武天皇と鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の間に誕生し天武天皇崩御の後、(686年)9月から持統天皇即位の朱鳥4年1月までの間、事実上この皇子の御世だったと考えられますが母である鸕野讚良皇女が政治を総覧する形をとったため、皇太子のまま死去し、後に贈られた称号が岡宮天皇です。草壁皇子墓は万葉集や続日本書記に佐田丘陵に草壁皇子に葬られた事が挽歌や記事として沢山残っており、この周辺に葬られたのは間違いないようですが、江戸時代の書物の「大和名所記」には場所は不明とされ、現岡宮陵は新しく指定されたようです。又地元の言い伝えによると元々この場所にはスサノオ神社の本殿があった場所で、明治時代に墳丘整備で近くから土を運んで盛り上げたようです。近年この近くで発掘調査された束明神古墳は地元の佐田集落では草壁皇子の墓との伝承を今に伝えているほか、発掘調査の結果から束明神古墳が築造年代、埋葬施設の特徴(八角墳)や出土した歯から性別、年齢も草壁皇子に近い事からも考古学者の間では束明神古墳が草壁皇子の墓であるとの認識で一致しています。この岡宮陵はそういう位置づけですが束明神古墳に行く途中にあるので立ち寄るのもいいかも知れません。陵から見る景観はなかなかのものです。

おすすめ度 (☆2.5) 

★所在地:高市郡高取町森

★墳形:円墳(規模は不明であるが見た感じでは径15m前後の円墳状の高まり)

★埋葬施設:不明

★棺:不明

★出土遺物:不明

★築造年代:不明

★発掘調査:未

★被葬者:草壁皇子??

 

【参考文献】

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・「天皇陵」総覧 草壁皇子墓(水野正好氏)

 

行き方