宮内庁管轄の欽明天皇陵の陪冢で陪冢名は「陪塚は号」となっています。江戸時代の古図でも大和の名所として既に今の形が描かれており随分前から破壊されていたようです。現在、明日香村の代表的な観光スポットのひとつですが古墳そのものの価値も高く花崗岩の巨石を刳り抜いた横口式石槨の代表的な古墳のひとつです。残念な事にこの古墳は欽明陵の陪塚として宮内庁管轄となっており調査が出来ません。
★所在地:高市郡明日香村平田
★墳形:不明(長方形墳?)南に開口。
★埋葬施設:花崗岩の刳貫式横口式石槨で元々、一体の石槨であったが蓋石が下に転落したものである。
★棺:不明
★出土遺物:不明
★築造年代:7世紀中頃
★発掘調査:なし
★被葬者:斉明天皇・建王 ?
★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳
【参考文献】
・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)
・飛鳥の古墳(明日香村)
・論集終末期古墳 大化二年三月甲申詔に見える墳墓の規制について(網干善教氏)
・日本の古代遺跡 奈良飛鳥(菅谷文則氏)